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どさんこ田舎者、岐阜でものづくり修行中

北海道遠軽町出身、さのかずや25歳。情報科学芸術大学院大学(IAMAS)にいます。無茶と繊細さと賢さとバランス感覚。

【読書】諦める力/為末大

book

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読みたいと思ってた。


諦める力?勝てないのは努力が足りないからじゃない


僕は高校・大学と陸上競技部で長距離走をやってきた。短距離走者の為末さんとは違うものの、たまに為末さんのツイートを見て、考え方に共通する部分がとても多いな、と感じていた。他のアスリートとか、日本の体育会系の考え方とは大きく違い、為末さんの考え方はとことん現実的だった。為末さんのツイートからはそういった部分をそこかしこに感じられた。

そういう経緯から、為末さんの本は読みたいな―と思っていた。そこにこの本。いままでいろんなことを諦められずにきた自分に向けられている本かと思った。アマゾンで買ってすぐ読みきった。期待通りの、現実を受け容れて、幸せを掴むための姿勢論。


気になった部分、印象に残った部分を、以下の2つに分けて、抜き出してみる。

  • 努力について。
  • 決めること、割り切ることについて。


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努力について。

p.41
努力すればどうにかなるという考え方だと、成果を出せないままズルズルと続けてしまいかねない。何かを達成したいという欲求があるのなら、自分が好きなだけでなく、自分に合った得意なものを選択するだろう。


目標を達成するために、自分に合う「手段」を選ぶ、ということ。そしてそれはずるいことでもなんでもない、ということ。なかなか日本にはない考え方だと思うけど、とても合理的だと思う。


p.59
全力で試してみた経験が少ない人は、「自分ができる範囲」について体感値がない。ありえない目標を掲げて自信を失ったり、低すぎる目標ばかりを立てて成長できなかったりしがちである。
転ぶことや失敗を恐れて全力で挑むことを避けてきた人は、この自分の範囲に対してのセンスを欠きがちで、僕はそれこそが一番のリスクだと思っている。


失敗を恐れることのリスク。会社でも「新人のうちにいくらでも失敗しておけ」とは言われるが、自分の実力を知るための重要な機会だからなんだろう。打ちのめされるけど。笑


p.141
言い換えれば、努力には、「どれだけ」がんばるか以外に「何を」がんばるか、「どう」がんばるか、という方向性があるということだ。(略)
積み重ねと違って、「何をがんばるか」という選ぶ努力には、冷静に自分を見てだめなものはだめと切り捨てる作業がいる。これは、精神的にかなりつらい。まず、目標に向かって決めたことを積み重ねられることは大事だけれども、その次に、自分で将来どうなりたくてそのために必要なものをちゃんと理解できているかどうかが問われるときがくる。
積み重ねる方だけに必死になっていて、選ぶ努力を怠った結果、空回りしている人も多い。結局、「選ぶ」ことを人まかせにしてしまうと、自分にツケが回ってくる。


ぐさっときた。あれこれやろうとして中途半端になっているタイプ。大学生の間は可能性を切るのは人まかせにして、ついにいろんな可能性を切ることができないまま、ここまで先延ばしにしてきた。でもそろそろ、いろいろ切り捨てなきゃいけない歳が来ている感じはある。


p.163
自分が自分であることに理由はなく、ものごとにも因果なんてなく、真面目な人に災害が降りかかり、何も考えず平穏無事に暮らしている人もいる。世の中は不条理で、それでも人は生きていくしかない。
一方で、理屈ではどうしても理解できない、努力ではどうにもならないものがあるとわかるためには、一度徹底的に考え抜き、極限まで努力してみなければならない。そして、そこに至って初めて見えてくるものもある。


「努力ではどうにもならないと知るためには、一度徹底的に努力してみなければならない」ということ。これは僕が大学生活の終わる寸前に為末さんのTwitterで見たのでよく覚えている。

僕は大学生活を陸上競技に捧げた割に、高校からほとんど成績を伸ばすことはできなかった。あらゆるかたちの努力は試して、自己ベストを出すことはできたけれども、大した記録ではなかった。そこで初めて、あー、陸上好きだけど向いてないんだな、と知ることができた。

これはとてもつらいことだったけど、それまで努力して何でも手に入れてきた自分にとって、「これだけやってもどうにもならないことがあるんだな」と気づけたことは、「諦める」ということを知る、何にも代えがたい財産になった。それは断片的に就職活動などでも役に立ったし、これから生きていく上でも大いに役立っていくものだろうと思う。


p.174
「がんばっても無理なことがある」というのは、決して夢を否定しているわけでもなく、努力することを無駄だと言っているわけでもない。そのことが腑に落ちるのは、何かを諦めた経験があってこそなのかもしれない。


まさにこういうことなんだろう。


p.227
人生にはどれだけがんばっても「仕方がない」ことがある。でも、「仕方がある」こともいくらでも残っている。努力でどうにもならないことは確実にあって、しかしどうにもならないことがあると気づくことで「仕方がある」ことも存在すると気づくことが財産になると思う。そして、この世界のすべてが「仕方がある」ことばかりで成り立っていないということは、私たち人間にとっての救いでもあると思う。


これこそまさに、7年間陸上ばかりやってきた僕にとっての「陸上競技」と「陸上競技以外のこと」だったんだろうと思う。陸上競技で結果を残せないなら生きてる価値なんてない、と思っていた時期もあったけれども、それ以外に努力である程度何とかできることは山ほどあって、その中に楽しめるものもいっぱいある、ということを、徹底的な努力の末に陸上競技を「諦めた」お陰で知ることができたのではないか、と思う。




決めること、割り切ることについて。

p.43
そもそも、自分は何をしたいのか。
自分の思いの原点にあるものを深く掘り下げていくと、目的に向かう道が無数に見えてくる。道は一つではないが、一つしか選べない。
だから、Aという道を行きたければ、Bという道は諦めるしかない。最終的に目的に到達することと、何かを諦めることはトレードオフなのだ。何一つ諦めないということは立ち止まっていることに等しい。


ぐさぐさくる。例えば「自分の力で生きられるスキルをつける」という目的があったとしても、「面白い人たちにアプローチしてスキルをつける」「自力で本を読んでスキルをつける」などのような道があって、どっちのアクションを起こさないまま迷っていても、それは「自分の力で生きられるスキルをつける」という方には全く進んでいない、ということなんだろう。どっちかに決めきれないタイプだからなぁ…。


p.73
かくいう僕も、競技人生の前半においては、意味のある人生にしたい、意味のあることを成し遂げたいという思いが強い動機になっていた。でも、メダルを取ったころからふと冷めだした。僕の母が毎日近くの山に登ることと、僕が世界で三番になることの本質的な違いがわからなくなったのだ。
意味を見出そうと一生懸命考えていくと最後には意味なんてなんにもないんじゃないかと思うようになった。人生は舞台の上で、僕は幻を見ている。人生は暇つぶしだと思ってから、急に自分が軽くなって、新しいことをどんどん始められるようになった。
たかが人生、踊らにゃそんそん、である。


「どうせ暇つぶしなら、好きなように生きる」と決めること。意外と難しくないのかもしれない。


p.129
どこまで引いて俯瞰で考えるか。どこまで大きく勝ち負けをとらえるか。このことによって、日常の勝ち負けの基準も変わってくる。そう考えると「どこで勝つか」より「何が勝ちか」をはっきりさせておくことが、自分が本当に勝ちたいフィールドでの勝利につながるのだ。
(略)本当の幸せや満足は、勝負における勝ち負けとは別のところにあったりするから、人生というものはややこしい。


自分の基準がしっかりしていれば、自分にとっての「勝ち」にたどり着きやすくなって、そのほうが幸せになれる、ということか。例えば「社内の激戦を勝ち抜いてコピーライターになる」ということよりも、「世界を震わすコピーを書く」っていうことが目標なら、「社内の激戦に勝つこと」が目標を達成する必須のフィールドではない、というようなことなんだろう。


p.154
自分のことを正確に認識し、その自分が通用する世界をきちんと探す。僕はこれが勝負の世界への入り口だと思っている。


先ほどの「努力」の話にも通ずるけれども、ある意味「身の丈」みたいなことなんだろう。自分の「身の丈」を知らないと勝負なんてできない。それがすごく難しいんだろうけど。


p.203
「あのへんが幸せだ」
「あそこまで到達すれば幸せになれる」
他人由来の幸福は、つまり移ろいやすい世の中の評価の中心に振り回され続けることになる。そして未来にゆだねた幸福は、ずっと追い続けて掴んだと思えば慣れてしまい、もっともっと加速する。幸福は外や先にはなく、今ここにしかない。
(略)
「何も諦めたくない」という姿勢で生きている人たちは、どこか悲愴である。
仕事も諦めない、家庭も諦めない、自分らしさも諦めない。なぜなら幸せになりたいから。でも、こうしたスタンスがかえって幸せを遠ざける原因に見えてしまう。むしろ、何か一つだけ諦めないことをしっかりと決めて、残りのことはどっちでもいいやと割りきったほうが、幸福感が実感できるような気がする。


例えばみんなが憧れる広告業界に入ることが決まった時は、確かにものすごい幸福だったけれども、既に慣れてしまっている。この中でどうするか、場合によってはこの外でどうするか、ということを考え始めている。これは為末さんの文に沿うと、憧れの広告業界という「世の中の評価」に振り回された「他人由来の幸福」なのだろう。

「何も諦めたくない」という人は僕もそうだし、僕の周りにもすごく多い気がしている。特にエネルギッシュな人が多いし、頑張ればある程度いくつもこなせてしまうかもしれないけれども、いつか限界がくるだろう、と感じてはいる。例えば既に独立してしまった同期を見ると、他の全てを諦めて自分のやりたいことに絞ってエネルギーを注いでいる。その姿は本当に幸せそうだ。本当にやりたいことに対して、そろそろ何かの割り切りが必要なのかもしれない。


p.223
僕は昔から、人間関係を整理するとか、モノを整理して捨てるとか、かかっている費用を圧縮するということを定期的にやっている。捨てることで小さくなったり、軽くなったり、安くなったりするのが好きなのだ。しかも、モノを捨てて小さくなることで、選択肢が広がるような気になっていく。
(略)
やらなくてもいいことはやらない、付き合わなくていい人とは付き合わない。
そう割り切ると、思いもしなかった自由さが手に入った。自由になることは、財産が増えていくことと反比例するような気がしている。できることなら、ほとんどのことをまっさらにしておきたいくらいだ。


この本の中で少し違和感のあった部分。僕は「人間関係を整理する」というところまではできていないし、きっとなかなかできないんだろうと思う。でもモノを捨てることで機動力が上がり、選択肢が広がる気がする、というのはよく分かる。うまいこと自分のスタンスを見つけていきたい。




あとがきより。

p.232
今いるところが最高で、そこから下がればマイナスと考えると、現状にしがみつくことになる。それは結果的に行動や思考を萎縮させることにつながる。今を守ろうとして今も守れないという状況だ。成功という執着や今という執着から離れることで、人生が軽やかになる――これが僕の言いたいことである。
(略)
前向きに、諦める――そんな心の持ちようもあるのだということが、この本を通して伝わったとしたら本望だ。


「諦めない」ことが、足かせになりうる、ということ。本当に自分のやりたいことを見つけた時は、それ以外の全てをきれいに諦めてしまうことも必要なのだろう。なんだかんだ「本当にやりたいことじゃない」と理由をつけて、諦めるのを諦めてしまうこともあるかもしれない。「諦める」ということは、やっぱりなかなかそう簡単にできることではないけれども、それができなければ何も前に動き出さない、ということは分かった。



なかなかすぐに「諦められる」ようになるのは難しいだろうけど、これからの生活の中で少しずつ「決める」≒「諦める」ことの練習をしていきたい、と思った。



スポーツやってきた人、やりたいことは色々あるけど決めきれない人、こういった人に特にオススメです。どちらもぼくですが。



不健康


NUMBER GIRL - NUM-HEAVYMETALLIC

午前3時半に聴くといい感じに気持ち良くなりますね