読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

どさんこ田舎者、岐阜でものづくり修行中

北海道遠軽町出身、さのかずや25歳。情報科学芸術大学院大学(IAMAS)にいます。無茶と繊細さと賢さとバランス感覚。

ぼくがブログを書くのをやめた理由

.


最近

ブログを全然書かなくなってしまった。書く気がなくなってしまった。
どうせ書いても誰も見ないだろう、ということを強く感じるようになった。

というのも

文章はプラットフォームに大きく左右される、ということを感じるようになった。
もっと言うと、コンテンツに対してプラットフォームの重要性が圧倒的に大きくなってきた、と強く感じている。

なぜだろう

かつてコンテンツが足りなかった頃は、ただ面白いコンテンツがあればよかった。
面白いブログ記事はじわじわとたくさんの人に見られる時代があった。

しかし時代は変わった。あらゆるコンテンツはコピーされ、誰が発信源なのかもよくわからなくなった。
自分が何を言っても、それはもはや「コピー」と見分けがつかないのだ。

コピーじゃなかったとしても、もはや内容に大差はない。インタビュー記事なんて誰が書いてもそんなに変わるものでもない。
そういう時に大事になるのは誰が書いたか、それがなんのメディアに載っているのか、という話だ。
最近人気でちょっとかわいい○○さんが書いている記事だからバズる。SENS○RSに載っているからイケてる。超くだらねえ。でもそれが現実。

全然詳しくないからあんまいうと燃えそうだけど、起業とかもそんな感じがある。
○○さんがやってるサービスだから注目。お金が集まる。よろしいことですね。

プラットフォームの衰退と乱立

こと文章を書くということにおいては、はてなはてな民とイケハヤチルドレンたちの戦場となったあとに、イケハヤチルドレンたちとなんとなくイケてるプラットフォームに乗りたいしお金もほしいな〜と思っている方々はnoteへ走り、殺伐としたはてな民たちは匿名で殴り合える増田へと向かい、意識高い海外志向の皆様はMediumに向かい、はてなも結局ブックマークを集めないと誰にも見てもらえない状況から抜けられないことが顕在化してきて、もうどこに何を書いたらいいのかよくわからなくなってきた。しょうもねえ。その状況自体が文章を書くことのモチベーションを削り続けた。

じゃあどうする

それを回避する方法はおそらくただひとつ、「発信源」であると認識されるようになること。
それは要するに、コピーとみなされないくらい有名人になる、ということであり、言い方を変えると「メディアとして影響力を持つようになる」ということだ。○○さんやS○NSORSは影響力があるから発信源になっているし、そこから発信されるものは全て正しい。とみなされる。

これはすごく恐ろしいことである。逆に言えば、「メディアとして影響力を持ちさえすれば、すべからく『発信源』になれる」ということでもある。まあ当たり前の話だ。Copy__writingとかサザエBotとか。アルス受賞おめでとう。くたばれ。


愛のある発信源

なぜCopy__writingやサザエBotやクソバイラルメディアは、もっというとなぜテレビ局は叩かれるのか?それはコピー元に対する愛がないからだ。もちろんバイラルメディアやテレビ局にも愛のあるものや愛のある部分はある。しかし彼らのお金を得るための指標が「より多く見られること」である以上、つくり手に気を配ってる暇などないのである。

でももうみんないい加減、情報の消費にも飽きてきた頃だと思う。情報のつくり手とつながり、自分が情報を生み出す人になりたいと思う人が増えてきていると思う。

そんな時代にできることは何か、と考えると、愛のある発信源となり、情報を消費するのではなく、その情報のつくり手同士をつなげ、ファンをつくり、つくり手とファンの関係を作り、ファンもつくり手の一部になっていく、というサイクルの形成が必要なんじゃないか、と思うようになった。

去年までの取り組みと今の考え

ぼくは去年まで、「面白いものやクオリティの高いものを作れば、そこに人があつまり、コミュニティができる」と考えていた。しかしどうやらそれは間違いであったようだ。

実際には、「コミュニティさえあれば、そこにあるものが何であれ人が集まる」ということだった。これはクオリティが低くてもいいということではなく、高いクオリティのものを生み出すには、まず低いクオリティでも発表することが許容される空間がなくてはいけない、ということだ。つくることで反響が生まれ、モチベーションが生まれる。それを繰り返していくと、いつの間にか高いクオリティになっている。ということが起こりうると今は考えている。

だからぼくは

コンテンツではなく、どんなコンテンツも載せられるコミュニティをつくろうと思う。きっとちゃんと機能するには10年はかかるけれど、これからゆっくりとやっていこうと思う。その一方で、VJなどの自分が楽しくてやってる活動は続けていく。世界で戦おうとするとどうやっても上には上がいるけれど、自分の好きな人たちのためにやれることなら、自分が楽しくやってる範囲で続けられるからだ。自分がコンテンツとなることで、たとえ世界規模でみるとありふれたものであっても、それが身近にあるだけでコミュニティに乗せてもらえることが多いことに気がついたからだ。

「つながりが生まれたかどうかがすべて」

去年、とある方とお話をした時に、その方は「今の時代、それがたとえどれだけ炎上しようと、結果人と繋がれたかどうかだけがすべてだ」という話をされていた。炎上の仕方、例えば人を傷つけるような炎上はあまり良くないとは思うけど、愛ゆえに燃えることもあるし、当り障りのないことを言っても誰にも刺さらないというのはよく分かる。そして結果人と繋がることでできるようになることが増えるというのもすごく共感した。

sanokazuya0306.hatenablog.com

人と繋がることで、できることが増える。それは4年前にバズったときに強く感じたことだった。燃えたけど、これで繋がることができた貴重な関係も多くあった。
でもそれから4年経って、状況は大きく変わった。この時はブログも読んでもらえたかもしれないけど、今はもうみんなそれどころじゃない。せいぜい140文字、写真とか動画をちら見するので精一杯だ。
そもそもぼくもあっちにもこっちにも長い文章を書いている暇もない。アプリゲームやる時間はあるのにね。

ブログで読んでもらえないなら、読んでもらえるプラットフォームをつくる

そして読むだけで終わりじゃない、具体的なアクションに繋がるプラットフォームをつくる。それはブログじゃなくて、もう一つ違うやり方が必要になる。
それがぼくがブログを書かなくなった理由。プラットフォームは立ち上げ準備中なのでご期待くださいね。


プラットフォームの考え方、ぼくがこの1年取り組もうと思っていることの詳細はこちら。4月に発表したものです。感想とかもらえるとうれしいなあ
構想発表展示.pdf - Google ドライブ






Aiobahn & Yunomi - 枕元にゴースト (Makuramoto Ni Ghost)

アニソンを色濃く感じるけどEDMみたいな、日本人にしかできなそうな感じある