さのかずやブログ

北海道遠軽町からやって参りました、さのかずやと申します

32歳になりました

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オホーツクの春。何度も訪れた天都山から見た風景は、見たことないくらいパッキパキに澄んだ青空で、斜里岳、海別岳、藻琴山はもちろん、知床連山、摩周湖外輪山、遠く雄阿寒岳もくっきりと見渡せるほどだった。

Googleマップを全く見ないクッマムの不安な運転で女満別空港へ。停車スペースでクッマムを見送る。「隣の芝生は青いっすからね」「辛いことも楽しんで頑張ろう」。2泊3日に渡ってじっくり話し尽くしたので、大した言葉も出てこない。それで十分なことに幸せを感じる。タマコさん/まやさんによろしく、と伝え、それぞれの日常への道に就く。

美幌バイパスに乗り、のんびり北見へと車を走らせる。北国の春、泥で汚れた窓からも、春の陽光にしてはやや強い日差しが入り込んでくる。いつも北見はかすめて通過するので、市内をのんびり走るのは久しぶりかも、と思ったが、1月に来たばかりだったことを思い出す。

 

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時刻は15時をすこし回った。北見のスーパーホテルにチェックイン。実家まで車で1時間なので、北見にはあまり泊まることがない。THA BLUE HERBのBOSSが北見のドーミーインに籠って曲づくりをしている話を思い出す。小綺麗な部屋。外の空気を吸いたいと窓を開けるも、6階なのでほんの少ししか開かない。わずかに空いた窓からは、春の匂いよりも飲食店の排気の匂いがする。身を乗り出して覗き込むと、錆びついた雑居ビルと、夕陽を浴びるNUPS屋上の「P」の文字が見える。

夜の約束まで少し時間がある。朝から人と会い続け、すでにコーヒーを2杯飲み干している。眠くはないがすることもないので、久しぶりに文章でも書くかと思い、iPadを広げてNotionを立ち上げるが、仕事のメモに合わせて書くのは何か違う。noteにアクセスして眺めてみるが、何かのテーマについて「いいね」を押してもらうようなものを書きたい気持ちでもない。悩んだ末に開いたはてなブログのアプリには、「31歳になりました」という記事が並んでいて、もう明日で32歳になることに気がつく。

 

昨年の記事を読み返すとこんなことを書いていた。

31歳、年に1回チャレンジをするとしても、フルスロットルで動けるのはせいぜいあと10回である。これまでいいだけチャレンジして、ある程度成功はしたけど、だいたいは失敗してきた気がするので(失敗のノウハウがかなり溜まっているのは成功ではある)、そろそろいい感じにしたい。ので、今年も今年なりのチャレンジを1つ打ちたい。

31歳もしっかりチャレンジして、しっかり失敗した。失敗の原因は痛いほどわかっているので多くは語らないが、ひとえに自分の至らなさである。

 

頑張ればできるんちゃうんか幻想

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昨今、精神状態は安定しているが、単純に疲れすぎていてあらゆる意欲が失われている。去年の今頃は鬱からしっかり回復して仕事をいろいろ回し始め、今後の展望に燃えていた頃だった。この1年はいろいろあった。本当にいろいろあった。大きなチャレンジをすると、うまくいってもいかなくても得られるものが多いことを知った。人を巻き込んでうまくいかなかった部分が大きいので、巻き込んでしまったことは本当に申し訳なく思うが、チャレンジをしたこと自体は自分にとって本当にポジティブだった。なので全然元気ではある。

ただ、本当にもう疲れてしまった。チャレンジを踏まえて、いろんな人とお話しさせていただいて、自分ひとりでできることの小ささを思い知った。「頑張ればできるんちゃうか」と思ったことに全力でトライして、全然できないことを思い知った。今年もまた大きな挫折をした。挫折は1回でいいんよ。とはいえ、ここで「頑張ればできるんちゃうか幻想」を(結果的に)完全に打ち破れたことは、自分にとってとても良かったことだと思う。

人と一緒に仕事をすることで、自分のできることの少なさを思い知った。これは自己評価が高かったからではなく、単純に分からなすぎてやってみたら全然できなかった、ということだったように思う。自分でやってみるまで納得できない質なので、嫌というほど納得できた。人間はそれぞれの得意なことが発揮できる場所にいたほうが幸せである。

なので31歳を振り返ると、「大きなチャレンジをして、大きく挫折した年」だったという振り返りができそう。この挫折で精神的に参る状態になっていないのは、30歳の鬱からの学びと、家族や、話を聞いてくれた方々の存在が大きかったように思う。

 

自分の軸足を置き直す

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30歳で鬱になったことの大きな原因は、「自分が軸足を置いていた領域で、完膚なきまでに打ちのめされたから」ということだった。複数のことが重なったので何がとか誰がとかいうことではないが、その時点で「地元のことをやる」という自分の軸足は完全に失われていたことに、その後1年やってみてやっと気がついた。地方では東京と違って、その時その時いい仕事をしているだけでは仕事はやってこない。というか、仕事の中身もやり方も、「いい仕事」の定義も違う。31歳は軸足が失われた自覚なく、なんとかやろうとしてみたが、なんともならなかった。そこで初めてそのことに気がついた。

自分の軸足を何に置くのか? 軸足を置くのは、仕事であったり、コミュニティであったり、趣味であったり、家族であったりするだろう。自分の軸足が失われるのは、おそらく30歳前後で起こる人には起こることなのだろうと思う。友人に勧められて受けたコーチングで、「自分のアイデンティティを再構築しなきゃいけないタイミングが、人生であるときはあります。その不安定な状態は喜ばしいもので、それを乗り越えられた時に飛躍があります」という話があった。きっとそうなのだろうと思う。

 

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ここまで書いて、こっちに戻ってくる前からずっとお世話になっている人と飲みに出た。2、3年ぶりだった。めちゃくちゃ忙しい中でお時間をいただき、これまで話せていなかったいろいろなことを話した。打ちのめされたこともちゃんと聞いてもらえてよかった。「もっと早く言ってくれたら……」と言っていただいたし、もっと早く話せたらとも思ったけど、まあどうしようもなかったようにも思う。それもまた人生だとも思う。「それでも同じ土地で生まれ育った者として、いつでも味方だから」と言ってもらえることは、本当にありがたいと思うし、自分がやってきたことが間違ってなかったと、確かめられることでもあったと思う。

この2、3日は、自分がお世話になってきた人や、話がしたかった人、思いがけず再会した人と話して回る期間だった。クッマムさんとともに。もちろんお会いできていない人もたくさんいるが、できる限りの人にお会いしてお話しできた。札幌に篭っていては気付けない、自分がお世話になってきた方々のことを改めて気が付けたし、自分がつくってきた価値のことも改めて認識できた。完全に自信を失っていたし、いまも自信あるわけではないが、自分が帰る場所、人を招いて案内できる場所はちゃんとあるんだな、と本当にありがたい気持ちになった。そしてきっと難しいよな、と思っていたことも、やっぱり難しいことを確かめられた。

帰る場所だと思えば、自分の軸足はここでなくてもやっていける。自分がこれまで積み重ねてきたことのおかげで、そして周りのたくさんの方々のおかげで、先が見えない状況で背中を押してもらえた感じがした。いまの自分ができることじゃなくても、これから自分ができるようになることで、いつか帰ってきてやれることがきっとある。もう5年もの間もがいてきて、いつも何もできていない感覚に苛まれ、一方的な力に屈し、何も成し遂げられていなくても、人生の中でまたなにかできることがあるかもしれない。積み上げてきて32歳、何もできなくて32歳。それすらも楽しんで、肩の力を抜いていくコツを掴み始めている、気がする。

 

原点に還る、新たな道を見据える

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(別に自分のことを龐煖だと思っちゃいないが)道の終点に立っていた

ここからどう道を歩んでいくのか。一度32歳の自分に残された道をしっかり見渡してみて、そこから考えていこうと思う。ちゃんと信用できる人たちと一緒に、自分は縁の下で支えていくようなことをやっていきたい。人と一緒に仕事をすることを学び直したいし、自分が大事にしたいことや、大事にしたい人を大事にできることで、しっかり自分1人以上の稼ぎを生み出したい。そのためにできることを今後しばらくはやっていくのだろうと思う。バランスをとりながら、自分が役割を果たす実感を持てることをやりながら。

まるごと足踏みのような3年間になってしまったが、ここで得たことが今後の人生にとってはっきりと必要なものだっただろうと思うし、後にそうだったと思いたい。少なくともだいぶ人にやさしくなれた気がするし、強くあらねばならないとも思えた。中途半端な優しさが自分の身を滅ぼすことも知った。世の中の多くは自分が関与するべきでない人である。いまは具体的なことを考える元気はないが、まだやれる。やれるうちにやらねばならぬことがまだまだある。それはここから数年で、きっと新しく見えてくることであろうとも思う。そのためには、やることを絞る。時間と余力をつくり、ひとつのことの解像度を上げる。仕事以外にやることをつくる。そして今後5年10年の軸足を見つける。この数ヶ月で見つけて、じっくり取り組む。自分にとってきっとそれが必要なことだと思う。

 

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さすがに来年くらい楽しい誕生日ブログを書きたいよ。まあでも、全ては好転している。いい方向に向かっていると明確に思える。大事な人を大事にして、新たな軸足をつくり、新たな道に進む。それを楽しくやっていきたいと思う。今年もこのブログを書くことができて良かった。人がいなくなることには必要以上にエモくなってしまいがちな性分だが、それでも勝手にあいつの分まで楽しく遊んで、あーだこーだ言って、自分たちの周りを楽しくすることをしっかりやりたいと思う。仲間がいなくなるのは寂しいけど、新しい仲間もつくりながら、つるむのが苦手なやつらでつるんでいこうと思う。現実見てやっていくよ、田舎モンらしく。北九州遊びに行くからな。川口くんにいまの状況を相談したらなんて言うだろうか。でも生き急ぎすぎていたような気もする。周りの人を大事にするために、まずは自分を大事にして、来年は新しい道の上でこのブログが書けていたらいいなと思う。

 

ということで、31歳に絶対にやりたかった、「トーチライト本を形にする」ということが実現できたことは、自分を褒めたいし、関わっていただいたすべての人に感謝したい。来年はこのブログで「いい1年だったぜ」と書くことを目標に頑張ります。

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ウェブメディア『トーチライト』を書籍化し、地域でつくって生きていく人に届けたい! - CAMPFIRE (キャンプファイヤー)

↑お誕生日祝いはすべてこちらのリターンでお願いします

 

メンタル至って健全です。ただ充電が必要なので、飲みにいけたら嬉しいです。4月に関西、5月に東京にいくので、飲みましょう。ご連絡ください。あと話しましょう。インスタで突発電話にハマってる。あとTwitterのspaceとかも久々にやってもいいんかな。

自分のスキルとして帰ってくる場所である「文章を書く」ということを、今年はまた大事にしたい。仕事でそこから離れられれば、逆に大事にできるような気もする。充電できたよきところでニュースレター再開します。よかったら登録しておいてください。

SNSやめるクラブ | Kazuya Sano | Substack

 

大事にしたいものを大事にしたい。そのために諦めるべきことがたくさんある。知ってたけど、体験できてよかった。また次の道で、あるいは帰ってきた場所で、元気で会えたら嬉しいです。

 

 

記事中に出てくるクッマムと思われる人のニュースレターが始まったのでおすすめです

masashiyamazaki.substack.com