さのかずやブログ

北海道遠軽町からやって参りました、さのかずやと申します

33歳になりました

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今年の誕生日は職場からの帰り道で迎えた。お祝いらしいお祝いは特にせず、珍しくローソンでポテチを買って帰ったくらいのものだった。妻が「そういえば誕生日やん」くらいのテンションで祝ってくれたのでありがたかった。そんなもんでいい。

 

職場からの帰り道。札幌市営地下鉄の終電は0時15分だが、キリのいいところで切り上げて1本早いくらいの時間に職場を出た。3月に入っても夜はマイナス5度。まだかなり寒いが、札幌市中心部は雪解けが進んでいる。会社に入ってから8ヶ月。どんどん入れ替えが進む道路の向こう側のテナントを見ながら、早足で地下歩行空間へ向かう。

「30歳を過ぎると年齢重ねるのどうでも良くなるし、1年が過ぎるのがどんどんあっという間になるよ」と言われたことを思い出した。マジでそうですねと思う。この1年あったことを思い出そうとするがあまり整理がつかない。でも淡々と生きすぎてしまうとすべて流れてしまうので、やはり今年もしっかり時間をとってまとめたいと思った。

 

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去年の5月いっぱいで、SNSで発信することをやめ、X(Twitter)のアカウントは削除し、facebookのアカウントは初期化した。会社としての活動を止め、オフィスを引き払い、オフィスにあった書籍なども全て手放した。一度自分を身軽にする必要を感じていたので、このこと自体はとてもよかったと思う。

6月から会社に所属させてもらった。その会社は札幌に本拠を置いて、国内5拠点・海外2拠点を展開している、でも正社員は10人程度の会社。1人あたりの業務量がめちゃくちゃ多いので、しばらくとにかく忙殺されていた。でも自分にとって、変に責任の重い仕事ではなく、いい意味で誰にでもできる仕事にひたすら没頭できることは、余計なことを考えなくていいという意味で本当にありがたい環境であった。SNSは一切見なかったし、なんの興味も出なかった。

その会社の環境は、ハードだが本当に居心地が良かった。一生懸命やっている人しかいないし、頑張っている人がバカを見るようなことは絶対に起きない。はっきりと厳しさはあるが、チームの足並みが揃わない場合は振り落としたりせずにしっかり待つし、ゴールのために無理して突き進むこともない。全員がお互いにひとりひとりしっかり向き合い、しっかりと話し合う。世の中的な「いい会社」の価値判断にはハマらないかもしれないし、こういう環境が苦手な人にはまるで向いていない環境だと思うが、自分にとってはまさに求めていたものだった。

会社に所属してからの9ヶ月ほどで、経験したことや起こった価値観の変化が大きすぎて、前の自分がどのようなことを考えていたのか、そして自分がどう変わったのかを説明することができない。だがはっきりとしているのは、自分がしっかりと忙殺されたことでしっかりと気持ちを休めることができ、自分自身を冷静に捉え直すことができたということだった。

 

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去年の3月、32歳になったタイミングは、きっと自分は病んでいた、というか冷静ではなかったと思う。自分のチームの状態がボロボロになり、普通に自分の生活費もなくなり、とりあえず今のことからしっかり離れたい、とりあえず安定した仕事に就きたい、というような気持ちであった。そんな状況で転職活動をしても「こいつ大丈夫か?」としか思われないのは一定当然であり、そんな感じでいくつかの会社に断られてたどり着いたのが今の会社であった。

去年の10月に子どもが産まれた。忙殺され続ける中でも子が産まれる瞬間に立ち会うことはできた。そして12月ごろ、会社のことも、今年の開催まで続けさせてもらう約束をしていた芸術祭のことも、実家から帰ってきた妻と子どものことも、すべてがはっきりうまくいっていない状況が発生した。全方向から「これどう責任とるの?」ということを言われ、なんか逆にテンションが上がってしまった。責任を取るには、しっかり責任を取れるラインを握ること、そのラインでしっかり実働しきることが重要である。でもそのラインが全然握れていなかった。

自分のキャパシティと、自分がこれからやっていきたいことを考えた。会社の目指す方向に100%共感はしているが、自分がこれまで生きてきた道を振り返ると、自分は北海道のことをやりたくて、しかも1人では帰って来る度胸もなく、妻と一緒に帰ってきたのだった。それを捨てて、このチームで世界を相手に戦い、その結果北海道に落とすのか。それとももう一度、家族の大事な時期や状況にしっかり向き合いながら、北海道をベースになんらかの道に挑むのか。悩んで人と話して決めた結論は後者であった。ひとまず3月いっぱいまではいまの会社の所属だが、4月以降は育児休暇も兼ねて再び無職である。

 

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もうここまで来るとさすがに普通の会社で普通に働こうという気持ちにもならない。でも「またなんとなくフリーランスで、自分が楽しく暮らせる範囲でやっていこう」という気持ちにもならない。とにかくこの会社で得たことは「人と一緒に仕事をすることの難しさと尊さ」である。広義のコミュニティ業という仕事の性質上、コミュニケーションの実地経験を通してめちゃくちゃ多くの学びとノウハウを得た。そしてこれは、自分がいつか向き合う必要があると思っていたことだった。

これまで自分は、自分の中で「こういうことをしたい」と考えたもの、場合によっては考え尽くしたものを、タスクベースで人と一緒にやっていくことが得意だった。本をつくりたい、こういう本にしたい、ということは自分で考え、インタビューやデザインや制作や編集を協力してもらう。これはこれでひとつのやり方だと思うが、ここには利害関係以上のコミュニケーションがなかなか発生しなかった。

一方、いまの会社は昭和スタイルである。(こういう言い方はしないが)義理人情がプライオリティの最上位にあり、困っている人は助ける、一人ひとりと向き合って暑苦しくフィードバックして育てる、というようなチームである。ロジックと仕組みづくり重視で生きてきた自分にとっては慣れない考え方も多かったが、よくできたロジックや仕組みを越える可能性のあるものは、こういう一見非合理的な、人の心を動かしうるエモーショナルなスタンスとアクションであることを学んだ。

これは広告業がやっているような「ロジックと感情の両立」みたいなチャチなものではない。身体の延長としてのメディアコミュニケーションでメディアをこねくり回してきた自分にとって、メディアを手放した身体で直接コンタクトする身体コミュニケーションと、その微細なノウハウは、当たり前すぎて目から鱗のものばかりであった。相手のネガティブな反応に対して「そうですよね〜、もし良かったらでいいので…」とか逃げずに「いやいや、参加しましょう!」としっかり巻き込むとか。人から助けてもらうために、関係をこじれさせないために、態度と会話を通じて立場とスタンスをしっかり規定して、ときに自分の弱みを見せるとか。普通にコミュ力の話である。

 

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去年の誕生日にはこんなことを書いていた。

ここからどう道を歩んでいくのか。一度32歳の自分に残された道をしっかり見渡してみて、そこから考えていこうと思う。ちゃんと信用できる人たちと一緒に、自分は縁の下で支えていくようなことをやっていきたい。人と一緒に仕事をすることを学び直したいし、自分が大事にしたいことや、大事にしたい人を大事にできることで、しっかり自分1人以上の稼ぎを生み出したい。そのためにできることを今後しばらくはやっていくのだろうと思う。バランスをとりながら、自分が役割を果たす実感を持てることをやりながら。

道自体はいろいろな可能性があるが、なにか生きた証を残せるレベルのことをやろうと思ったら、もう新しい道を探ってる場合ではないなと思った。そしてそこに「普通に会社で働く」という道はないということもわかった。1年前には「もう2度と人前には立たん」というような気持ちだったし、今でも人前に立ちたいとは思わないが、大袈裟にいうと共同体の中で一定の責任を果たしていくためには、たまには縁の下から出ることも必要だとも思った。今まで曲がりなりにも積み重ねてきたおかげか、共同体の中で一定の責任を担わせてもらえるような立場になりつつあるし、それは真っ当に担い続けていけば、どんどん担わせてもらえるもののはずである。

ここで自分の暮らしに振り切って、共同体で責任を果たすことから距離を置くこともまた可能だろうと思うが、それは自分の望むものではない。むしろ自分は「共同体で責任を果たす」ということを求めていたのかもしれないとさえ思う。でもそれは当然ながら1人でできることではない。勝手なことを言うのは共同体に属してないからこそできることであり、「共同体に属する」ということと「責任を果たす」ということは完全に表裏一体のことである。外野から勝手なことを言うのはずっと前に飽きていたし、自分が特定の共同体に属せないことにも悶々としていたし、自分で共同体をつくろうとしたらそこまでのスキルが自分になかったことも思い知った。

しっかり関わらせていただいた札幌国際芸術祭2024、そして様々な環境と心境の変化を経て、しばらくは「札幌」と「メディアアート」という共同体での責任を果たしていくことに決めた。札幌に戻ってきてから3年半、その前も含めるとIAMAS時代も含めて10年近い試行錯誤を経て、一番自分にとって距離感が程よく、しっかり責任を果たせる気配もあり、自分がやりたかったことに関われていると思える。そこに大きな障害を感じることもなく、誰かに助けてもらえる感覚も持てる。こう書くとなんかロジックで固めてる感あるけど、「単純におもれーし今後もずっとやりてーから」である。

 

とはいえ具体的に何をしていくかはまだはっきりと決めていない。やりたいことは色々あるが、自分は新しいことを始めるのが好きすぎて自分の首を絞めるタイプだということは(33にもなると)重々わかっているので、いまは「簡単に始めない」ことを頑張っている。次にやるとしたら、前述のように自分で考えて決めてしまって人の力を借りるのではなく、何をやるのかから人と一緒に考えたい。それによって具体的にやることは全然変わってくるだろう。メディアかもしれないし、リサーチかもしれないし、作品づくりかもしれないし、事業かもしれない。もしやるなら1個1個、1点集中である程度の形をつくり、それから次のことをやる。

まあでも率直に、1人でやることに飽きてしまっている。少人数の会社所属を経て、やっぱり人と一緒にやらないとダメだなと痛いほどわかった。1人よりも2人、2人よりも3人のほうが、意思疎通は難しいかもしれないが、チームとして動くことはきっと成立しやすい。自分のやりたいことがチームじゃなきゃできないことなのであれば、1人でやることはそもそも選択肢には入らない。人と向き合うことで疲れてしまっていたのは、自分が向き合っていたのが「果たしたい責任」ではなく「目の前の人間」であったからで、もし自分が責任のほうとしっかり向き合えていたのであれば、大袈裟に言えば人間関係など些事である。

この先は1人で考えても答えはきっと出ない。自分が責任を果たしたい領域の先人たちに会い、まずは共同体の一員となり、そこからどう責任を果たせるかを考える。でも共同体のことを考えすぎず、自分がやりたいことをしっかり持ち、そこに果たすべき責任をオーバーラップさせていく。その先に自ずと、自分が手を組むべき人、そして自分が取るべきアクションが見えてくるだろう。それを4月から少しの間しっかり考えて、次に進みたい。

 

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札幌国際芸術祭は1977年生まれの方々が(たまたま)要職についており、その世代の方々にとっても大きな仕事であっただろうと思う。次の札幌国際芸術祭が2027年にあるとすれば、それは現在の1977年世代の方々が関わり始めた2014年の芸術祭と同じような人生の時期である。10年あまりの先に今回の芸術祭のようなことを主導する立場であること、そのイメージをどこまでここから持てるのか。そして芸術祭ありきでなく、自分が「札幌」で「メディアアート」に関わり続けていくために何が必要なのか。

考えるだけで楽しいが、自分はコミュ力修行を重ねたこの1年弱を経て、あんまり「考える」ことに頼りすぎないことに決めた。考えてもどうしようもないことは世の中にたくさんあり、ロジックよりも感情が優位に立つことは、特に生身の人間を相手にするとたくさんある。これまでの自分の得意技はメディアコミュニケーションであったが、メディアが身体からかけ離れすぎてしまった以上、フィルターバブルから攻撃してくる人を相手している暇はない。各自の世界で正しいロジックは、そうでないことと擦り合わないし、「共同体」でないなら擦り合わなくても生きていける。でももうそういうのあきあきなんだぼく👼 ひとりひとりの質感がわかるところでしかコミュニケーションしたくない。これは感情の話。そして自分の果たしたい責任の話。

 

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人間が持てる関係性には限界があることを知った。これは人間の時間が有限であることと全く同じ話である。限られた時間で、残された時間で、自分が何を果たしていくべきなのか。あまり自覚的ではないが、子どもが産まれて、未来劇場の文章を書いて、そこに向き合う度合いも大きくなったように思う。一旦全部削ぎ落とした結果、必要なものも削ぎ落としてしまったが、それはまた積み重ねていけばいいだけのものである。むしろ身軽になってできることはたくさん増えているはず。そこで変に目の前にやりたいことに動き出さず、まずはしっかり考えて、後に引かない1手を踏み出せればと思う。

もうすぐ新居のマンションリノベが完成する。今月末には引っ越しである。何か大きな変化がなければ10年20年住み続ける家のことなど考えたこともなかったが、現実に形になる。前職でオフィスリノベの経験をしまくっている妻の特殊能力に脱帽するばかりである。豊平川が見える新居でパーティーがしたい。ひとりひとりの質感がわかるコミュニケーションをしたい。これまでは無責任にSNSで「遊びに来てください」とか言っていたが、そんなものでコミュニケーション取れる時代ではなくなってしまったので、もう言わない。ぜひ直接会って、直接遊びましょう。

 

 

 

質感のわかるコミュニケーション、その延長のメディアでしかコミュニケーションしたくない。でもその差分には何かがある気がしていて、それは曲がりなりにもメディアコミュニケーション研究をしてきた人間として解き明かしたほうがいいようなことでもある気がしている。直接会って、そんな話をしましょう。ニュースレターを購読してくれている50人以上の方とは、質感のわかるコミュニケーションを取れていていつも本当にうれしい。このまま広げていきたい気持ちもありつつ、別に広がんなくてもいいやという気持ちもありつつ。人間の関係性に限界があるということをはっきり認識すると、不要な関係が切れていくことを喜ばしくさえ思える。関係と質感のコントロールを、注意深く、ときに大胆に重ねたい。

32歳は仕事もあって閉じこもりすぎたので、もうすこし広げていきたいと思うが、でも広げすぎてもまた楽しくなくなってしまうので、質感を大事に33歳のステージを進みたい。人と会って話す。必要以上に。すべてのアクションはコミュニケーションのためにある。それを信じられる人と一緒に。